土香る会の想い

土香る会は、有島記念館(北海道ニセコ町)と歩む会です。
文豪・有島武郎の生き方と芸術に学び、
遺訓を偲ぶ有島謝恩会との連携を目指します。

活動理念

札幌にあった星座の会の閉会を引き継いで2000(平成12)年にニセコで発足した「ニセコ星座の会」、そして、2002(平成14)年に名称を変更した「有島記念館と共に歩む土と香の会」は、2016(平成28)年、名称を「土香る会」に変更して再出発することになりました。

私たち「土香る会」は、有島記念館を介して有島武郎の創造的精神を私たち一人ひとりの心の中に汲み取り、さらに、有島謝恩会と共にこの地に生きる意味をより深く考え続けたいと思うのです。

そのことによってこそ、自らの矛盾と闘い続けた有島武郎の情熱とその多様な表現が凝縮されている有島記念館と共に歩む「土香る会」と、いえるのではないでしょうか。 私たちのこのような活動理念は、自立した主体同士の協力関係を目指す、「土香る会」から「有島記念館」と「有島謝恩会」へのラブコールでもあるのです。

有島 武郎(ありしま たけお)

文豪・有島武郎は、「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「或る女」などで知られる大正期の作家です。ここは、有島武郎の人物像などについて多くを論じる場ではありませんが、私たちの活動の根幹ともいえる人物ですので、略歴を追えるように、年表にまとめています。

PDFデータ「有島武郎の略年表」は、ボタンまたは年表の画像をクリックしてダウンロードしてください。

有島武郎の略年表
有島記念館内の有島武郎展示写真

有島記念館と有島謝恩会

有島武郎は、北海道狩太(かりぶと)村(現・ニセコ町)に所有していた自らの農場を、小作人全員の共有として無償解放しました。
その約25年後、この恩に報いるために「有島謝恩会」が設立され、旧農場事務所に武郎や旧農場の資料を保存・展示することにしました。これが現「有島記念館」の前身です。

有島謝恩会の発足と有島記念館の創設まで

1922(大正11)年7月18日、狩太村(当時)に大農場を所有していた有島武郎は、弥照(いやてる)神社に小作人六十数人を集め、全農場444町歩を無償で解放する宣言を行いました。一人一人に分けて解放するのではなく、全農場を農民だけで共同管理することを条件に行ったものでした。

農民たちは、1924年に吉川銀之丞(よしかわ ぎんのじょう)をリーダーとして有限責任狩太共生農団信用利用組合を設立し、有島武郎の遺訓である「相互扶助」による合議制に基づき、25年間にわたる時代に先駆けた直接民主主義による農団運営を行いました。

しかし、敗戦後の1948(昭和23)年、GHQが主導する第二次農地改革により、共生農団は事実上強制的に解散させられました。その最後の総会において、有島武郎による農場解放とその後の相互扶助に基づく共生農団の営みを後世に伝えるべく、解散後の共生農団員の意思を引き継ぎ「有島謝恩会」を発足させました。

また、有島謝恩会は発足にあたり、それまでの農団事務所に隣接していた高座敷を「有島記念館」とし、有島農場と狩太共生農団及び有島謝恩会の歩みを記す各種の資料などを公開展示しました。

この初代有島記念館は1957(昭和32)年に失火で焼失しましたが、1963(昭和38)年に全国からの浄財により第二代有島記念館が再建され、その後展示資料等がニセコ町に寄贈されることとなり、ニセコ町は1978(昭和53)年に第三代有島記念館を建設開館して現在に至っています。

有島謝恩会の活動に土香る会も参加

有島地区に在住している農業者など多くの住民を中心に運営されている有島謝恩会は、有島灌漑溝(かんがいこう)と弥照神社の維持管理活動を行っています。

右側の建物が有島謝恩会館(現在は有島地区集会場として使用)。背後に名峰・羊蹄山を望む

●有島灌漑溝の泥上げと草刈り

有島武郎と吉川銀之丞が1921(大正10)年に造成した灌漑溝(かんがいこう)は、現在も現役で水田に用水を供給しています。羊蹄山を水源地とする冷涼な水温を日照熱で温めるため、水路の傾斜を緩くして水がゆっくり流れるようにし、地形との高低差を所々に設けた斜段で調整する機能を維持するため、毎年、有島謝恩会と水利組合は地域の人々に参加を呼びかけ、延長4キロメートルを超える灌漑溝の全線で、5月に泥上げ、6月に草刈りを行っています。

1921(大正10)年以降、有島農場時代から共生農団そして農団解散以降へと続く長い歴史の中で継続してきた有島灌漑溝管理作業ですが、農家の高齢化と後継者難による離農傾向が続き、農家だけでは維持が難しくなってきました。しかし近年は、有島地区の非農家新住民からも参加する人が増え、また、地域外の有志による作業への参加も見られ、有島地区の営農施設の維持だけでなく、旧有島農場の原風景の維持にも結びついています。

土香る会では、有島灌漑溝の泥上げと草刈り作業に毎年参加しています。

有島灌漑溝の草刈り作業の様子

●弥照神社のおまつり

有島武郎が農場の無償解放を告げた場所「弥照(いやてる)神社」では、有島謝恩会が春と秋に例大祭を行っています。また、元日には、誰でも初詣でができるよう社殿を開放しています。例大祭の参拝や直会(なおらい)には、地域外からの参加も可能とのことです。

有島農場を支えた地域の人々の名前が記された木札などが社殿内に掲示されており、地域にとっての歴史的な意義を再確認する機会として、大切にされている祭事です。

土香る会では、弥照神社の春と秋の例大祭に毎年参加しています。

弥照神社内での行われた住民による直会

※有島記念館の概要については、こちらからもご覧いただけます。